親学会スピーチ 齋藤さま

 息子 の初心は強くて優しい人になりたいです。 
入門前に先生が「丈瑠はどんな奴になりたいんだ?」と聞かれた後の言葉で、理想の人物像について聞いてくださったことに驚き、このやりとりは印象的でした。 
その初心について、黒帯までになるまでには深めておこうと目標を立てていたのですが、出来ませんでした。 
優しさについては, 自分が小さなころ小児喘息を患っており,優しくされていたせいなのかわかりやすいものの、逆に持病があったゆえか、強さを求められずに生かされてしまっため、強いということがはっきり何かわからずに生きて来てしまっていたためかと思います。息子の黒帯獲得までという長々とした期間があってもはっきりできずに過ごしてしまいました。 
強さについて思ったことは、勝つということは強い。いじめっ子は強く、頭がよいも強く、上手になんでもできるも強い。でも掘り下げるうちに美しいも強く、華がある様子も強く、赤ちゃんが人を引き付けるさまにも強さを感じるようになりました。 
いじめっ子と赤ちゃんという共通点がないと思えるものにも強さを感じたので、深めていくうちにまとまらなくなってしまい、ぼんやりとしたままでいたころ、息子がお友達とごたごたしました。 
なんでごたごたしたのだろう、とその相手の子の様子を見てみると、なにがなんでもその場を我がものにしたいという気持ちがあるように感じました。でもあいつ意地悪すんだ、そこは違うだろ、と息子も言ったので、そりゃそうだと話しました。そうであってもいつもその子のいう通りになりやすい。そこから掘り下げて考えてみると・・・強い、とは、この場を自分のものにできる、ということなのではないかなと思いました。深めてみると、私が強いと思うものは、なんとなく魅了されて引き込まれ、ペースをもっていかれてしまうものでした。自然体にもそれを感じました。ちなみに今はそのお友達とも仲良く遊べています。仲良くなってみるとその子はいつも一生懸命だったり魅力的なところも多く、人を 乗せるようなところに引き付ける感じがあり、その場を持っていけることは納得でした。振り返ってみるとトラブルという形で一つ課題をクリアしたような出来事だったように思われます。
強さについて深めることができた、と思いました。でもどこかそれが底でないような気持ちになりました。その場を自分のものにできる、というのは自己中なのではないかと感じたからです。その時ふと重なって出てきたものは織田信長です。信長が天下統一してやりたかったもの、それは楽市楽座であるという話を思い出しました。残忍で自己中で戦好きの印象のある戦国武将がやりたかったことが実は戦ではなく、人々が自由に商売で競えるような世の中にしたい。殺し合ってうばうのではなく、人が喜ぶことのできるものを作って商売したほうがこの世のためである。こういう世の中を作ることが、彼の天下人としての目的であったという話にブラックホールに吸い込まれるような気持ちになりました。信長は 戦乱の世の中で「人が平等にいかに良い世の中になるか」ということを考え、先が見抜け、これまでの常識を覆えそうとする、おっそろしく頭の切れる人なのだと思いました。   
息子 のごたごたと信長の話から、その場を自分のものにしたいと思うなら自己中ではなく、大儀名分というか、何のためにということが大切なのではないかと改めて思いました。また、これをやりたいと思うならその場を自分のものにできなければならないのだとも思いました。 
でもこの答えもまだまだ底ではないようで、しっくりきていません。 
  
 なんのために、というところでつながる話なのですが、谷垣先生も教えてくださいました「なぜ勉強するのか」ということを塾の先生からもお聞きしました。 「勉強というのは先人の知恵を学んでこの世に貢献するためにするものなのだ」というようなことをお話してくださり、その時に一人の人間が学ぶということは、誰かのためにもなるとてもスケールの大きいことなのだと思えました。私はそういうことを言ってもらってはいなかったので、勉強とは自分のためにするものなのだと思っていました。学びは小我ではなく大我である、こういうことがわかっていれば、私も勉強なんて自分がわかる程度でいいやと思わずに勉強ができ、今の自分は違っていたかもしれません。 
  
 また、やっと先日先生の座禅会に参加させていただきました。 
一度目はまあまあよいけれど、二回目がうまくいきませんでした。前回もそうでした。 
息子 にその話をしたところ、「二回目、一回目と同じことやろうとしたでしょ。」と言われ、 
その通りだったので驚いてしまいました。一回目と二回目は違うのだという当たり前なことにも気づいていなかったことに愚かさを感じ、長いこと先生のところに通わせていただきながら一期一会がわかっていないことが驚愕でした。 
 
 
我があり、さらさらと変われない。 
我がない自分を知らないのでそういう自分を知りたいと思いました。